受け取る器

今日聞いたステキなお話。

 
例えば、干ばつが続いたとして、雨が降るとわかったらどうしますか?
 
きっと、雨水を溜めるための器を用意する人が多いと思います。
 
じゃあ、雨水が溜まった自分の器を見て、周りを見た時に、
自分より多くの雨水を溜めてる人を見たらどう感じると思いますか?
 
「大きな器を用意してズルい!」
とか
「なんであの人だけ?」
 
と思うかもしれません。
人は自分より多くのものを受け取ってる人を見ると、そう感じてしまうようです。
 
けれど、雨水はどんな人にも平等に降ってるはずで、
それを受け止めるために用意した器が小さかっただけですよね?
 
つまり、
誰にでも平等に与えられていることも、
それを受け取る器も用意せず、
自分より多くを受け取ってる人を見て
「あの人は恵まれている」
と自分とは別のところに原因がある、と
思っている人が多いのでは?
 
という話。
 
 
この話を聞いた時に、全てのことに言えることやな、と思いました。
自分にも与えられているのに、
それを受け取ることもしないで
「私にはあと◯◯が足りない」
と言う人がほんとに多いので。
 
受け取る器、どんな器を用意してますか?
 
今、自分に足りないものを探しているなら、
ただ受け取っていないだけかもしれない。
 
何を受け取るかを決めるのは自分で、
今手にしているものは
自身が、自分に受け取ることを許したもの。
 
自分の器を小さく見くびってはいけない。