しゃーない、だってそれが自分だもの

産まれてくる時も一人で

死んでいく時も一人、という
話がありますが、
 
どうせ死ぬ時も一人なら
死ぬまでの時間は少しでも長く
幸せを感じ、
豊かな時間を過ごしたいと思った。
 
昔の私は
お金があれば幸せになれる、と
欲しい物を手に入れれば幸せになれる、と
たくさんの物や人に囲まれていれば
幸せになれる、と
人が羨むような功績を手に入れれば
幸せになれる、と
ステキなパートナーがいれば幸せになれる、と
本気で思っていたから
 
それらを手に入れられていない自分には
何が足りないのか、と
自分の足りないものを探し続け
 
手に入れても満たされないなら
次は何を手に入れれば幸せになれるのか
ずっと探し続けていた。
 
けれど、
自分には何が足りない、
自分はこれもあれもできていない、と
自分を否定し続けているのは
実は自分自身だった、ということに
気付いた時に
もう自分のことをいじめるのは止めよう、
と決めた。
 
いわゆるマジョリティとは違う感覚を
持った時に
「みんなと同じように思えない」自分は
おかしい、と
自分の感覚を否定することは
もう止めよう、と。
 
 
それも自分だから
しゃーない。
 
 
自分の人生を生きることは
自分にしかできなくて、
私はずっと誰かのための人生を
生きようとしていたけれど、
それは違うということに気付いた。
 
私の幸せは私が決める。
幸せの基準なんてどこにも存在しない。
 
 
どうせ死ぬ時も一人なら
死ぬまでの時間は少しでも長く
幸せを感じていたい。
 
大好きな人と1分でも長く時間を過ごしたいし、
大好きな事に1分でも長く時間を使いたいし、
1分でも長く自分の人生を感じていたくて
1分でも長く世界の美しさを感じていたくて
刻一刻と経過する時間を大事にしたい、と
心の底から思った。
 
何気なく過ぎる1分も人生だから。
 
 
誰に何を言われても
自分の人生を生きる、と決めた時に
実は自分はとても愛されていて
実は世界は自分に優しかった
ということにきっと気付くはず。