個性について考えてみた

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南米旅行の興奮から早くも1か月が経っちゃった😳
時間が流れるのは本当に早いものです💦


今回の南米の旅は私にとても大きな変化をもたらしてくれました。
いろいろ気づきがありブログにもいくつか書き留めたけれど、今日は個性について書き留めておこうと思います。


今回の旅でとてもたくさんの人と出会いました。

●メキシコで同室になったフランス人
メキシコに着いた時、時差ボケで夜寝れずお昼寝をしてた時、ベッドにカーテンがあるホステルだったので私がいないと思ったのか、同室のフランス人がめちゃめちゃうるさかった。
すごい喋るしすごい歌うし。
でも私が咳をすると私がいたことに気付き「ミヤタ!大丈夫?」と大声で声をかけてくる。(寝てるのに。ベッドのプレートにMIYATAって書かれてるからミヤタと呼ばれるw)
「寝てるんだけど」と言うと「ごめん!」と人のカーテンを勝手に閉める。


イースター島で出会ったマレーシア人
イースター島で参加したツアーで私と同じくひとり旅をしていたマレーシア人の女性。私より少し年上で結婚しているがひとりで3週間南米に旅行に来ていた。一緒に夕日を見ていた時に恋愛の話になり、彼女はまわりに「結婚しないのか」と言われ結婚し2年が経ったが、結婚生活に悩んでいるとカミングアウト。マンションも買ったしなおさら悩んでいて、そのことを見つめるためにも旅に出たと言っていた。


イースター島で出会ったフランス人一家
ガイドさんの説明に感動し質問をとても多く投げかける熱心なお父さん。道に咲いていたお花をお母さんにプレゼントする3歳くらいの息子。それを温かく見守るスペイン語も話せるお母さん。父母のどちらかだけがずっと子供をみるというわけではなく、協力しあってる様子が感じられて微笑ましかった。


●アタカマで出会ったチリ人のおばさん
アタカマで参加したセノーテのツアーで一緒になったチリ人のおばさん。私がスペイン語を話せないのに一生懸命スペイン語で説明してくれる。
英語が通じない(もちろん日本語も)のでボディランゲージでやりとりしてなんとかなった。そして何かと「行こう!」と声をかけてくれる。
翌日サンペドロの街で見かけたら覚えててくれて、すんごい手を振ってくれた。


●アタカマで出会ったブラジル人のイケメン
豪雪のため立ち往生してるウユニツアーのバンの中で、ガイドさんがスペイン語で説明している中、状況がわからず固まっている私に「スペイン語わかる?困ったことがあったら聞いてね」と声をかけてくれたブラジル人のイケメン。
唯一のアジア人だった私に声をかけてくれ、何かと声をかけて助けてくれた。


●ペルーで出会ったイギリス人
マチュピチュに向かう電車の中で隣になったイギリス人男性。ペルーが好きすぎて6週間ペルーを旅しているがペルーに住む気はない。イギリスでは2週間半の休暇がとれたけれど、仕事に疲れ辞めてペルーに来た。
マンチェスター出身のためアクセントが独特でイギリスの中でも理解してもらえないことがあるらしく、話す時に気を遣っているそう。アメリカ英語よりもイギリス英語の方が美しいとプライドを持っている。


●ペルーの空港で出会ったアメリカ人
通りすがりに「I have to tell you something.」(あなたに言わなきゃいけないことがある)と声をかけられたので、何か付いてるのかと思ったら「Your dress is so gorgeous!」(あなたの服ステキね!)とだけ言って立ち去る。


以上、私の備忘録的な内容でもあるけれど、こうしてみてみると、国民性というものは多少なりともあると思うけれど、どこの国出身であっても人間として悩んだり考えたりするのは同じなんだなーと改めて思った。笑

それと同時に一個人として発言してる様子を見て、それが人間としての自然な在り方だよなーとも感じた。


社会人として
女として
妻(恋人)として
親として
子供として…などなど


自分の一端を担っているカテゴリーのあるべき論に自分を寄せそうになるけれど、それ以前に一個人としての思考も嗜好も存在している。
それなのに、私たちは一個人の意見は差し置いてでも、いわゆるあるべき論の姿になろうとしている気がした。


日本人は海外に出ると、自分の個性というものに向き合わされるのかもしれない。
なぜなら日本社会にいるとある一定の"べき"が存在していて、それに沿っていれば指を指されることもないし、みんなと同じということに安心感を感じやすい国民性だし、親も自分の子供が他と同じであることを無意識に重視しているからではないかな。


外国人は"人がどう"というのを全く気にしない。
服装然り、体型然り、コミュニケーション然り。良いと思ったら「それいいね!」と話しかけるし(言葉が通じるかもわからないのに)、ステキだと思ったら身につけるし、私はこういう人間です、ということを自分を使って当たり前に表現していてステキだと思う。
(日本人の自己肯定の低さは日本教育の自虐史観の話にもなってくるかもしれないけれど…)


私の場合は女、社会人、ついでに言うと日本人というカテゴリーに所属しているけれど、それ以前に“私”という人間であって。カテゴリーに関わらず一個人である自分を表現している人を見ていると私も自ずと自分という人間を表現したくなった。


カテゴリーのあるべき姿を演じるのでなく、個人の思考や嗜好を表現することが個性なのだな


と、飛行機に乗る列でいろんな国の人が同じように列に並んでいる様子を見てふと、自分が一個人であることを強烈に感じた。
その一個人を生きることが個性なんだろな、きっと。


自分を生きるってやっぱ奥深いね。



↑ペルーのオリャンタイタンボにて


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