”値切る”リスク

最近引っ越しまして、

今回の引っ越しにあたり
気付いたことがあります。

今までの私は、
敷金、礼金は安ければ安い方がいい!
と、思っていたので、自然と安いものを探し、
仲介手数料もできるなら払いたくない、と
思っておりました。
今までそうやって物件を探してきました。

大阪人なので、安く得るということに
美徳を感じている部分はあります。笑

今回の引っ越しでも、
敷金、礼金や仲介手数料を
いかに安くしてもらうか、
ということを真剣に考えていましたが
ふと気付いたのです。


値切ると、私も値切られる人間になる、と。


敷金、礼金が高いところには高い理由がある。
(ぼったくりを除く)
そして、払える人しかそこには住まない。

そして仲介手数料を払わない、ということは
人に対してお金を払わない、ということ。

つまり!
自分にもお金は払われないことを
作ってしまっているのである。

外の世界をどう自分が扱ってるか、は
自分が自分をどう扱っているのか、の投影。

外側の世界は全て
自分の内面の投影なのでね。


物事に対して
お金を払う価値があるかどうかを
見る目を養う必要はあるけれど

本当に価値のあるものを値切って買う人って
そういえば見たことないな…
と、気付いたのです。


以前、旅行番組で東南アジアに行った人が
市場でめちゃめちゃ値切っていて、
はじめはお店の人も、価格を下げていたけど
ある時点から顔色が急に変わっていた。

そらそーだわ。
物の価値を見て値切るんでなく

とにかく安く買うのがいい!と
いう価値観の人に、
売りたい、なんて思わんわな。


お金を払う、ということは
払える人が払うわけで
自分にはその物や場所に相応しい価値が
あります、と
言ってるようなもの。


値切る、ということは
相手からの搾取であり、
自分に対しても値切られること(搾取)を許し、
その価値に自分は相応しくない、と
言ってるようなもの。

値切ることが似合うね!って言われても
うれしくないもんな。


ここでわたしが言いたいのは
高いお金を払うことがすごい!
ということではなく

自分が”価値がある”と思うことに
どれだけ気持ちよく
お金を払えるか、ということ。


お金に対する考え方は
自分に対しての考え方、とは
聞いたことがあったけど

本当にそうだなぁーと思った
五月の夜。