光と闇が一つになる時

もうすぐスターウォーズの最新作が公開されますね。
私は産まれてこのかたスターウォーズを見たことがなかったのですが、闇潜伏期間になんとなく見ておいた方がいい気がして、一気に見ました。

 

計8本!(ローグワンも含むと)

 

だから、今はスターウォーズ最新作の公開がとても楽しみです。


そして、今このタイミングだからこそ最新作のスターウォーズが公開されたのだとも思いました。
宇宙はやはり完璧。

 

 

だってCM見た?!
「光と闇が一つになる時」
って言ってた。
(↑でもこの台詞が出てくるCMを動画で探したけど見つけられなかった…)


闇は美しい、と捉えられてる方も多いと思いますが私も同じ考えでして、闇があるからこそ人は魅力的だと思っています。

 

自身が闇強めなのも自覚してるので、関係を築けるとしたら闇を感じる人でないと基本むずかしい。

 

連日スターウォーズを見てた中で、アナキンが自分とかぶりとても心が痛かった。
ダークサイド(闇)の例として恐れ、怒り、悲しみなどがありますが、特に怒りという感情はすごく力を持っている。

 

怒りからくる、自分の想像を超えるような力もある分、そこに引っ張られやすいというのもすごくわかる。

 

また愛ゆえにその反動で闇が深まることもわかる。

 

ただ、怒りなどの闇というものは自分の中からしか発生しないものであり、大きくなることも小さくなることも自分の中で起こる。闇に支配されないことは選択でき、決して闇をないものとすることではありません。

 

人間である以上、感情は切っても切れないものであり、闇側の感情は必ずあります。ただ、その感情に乗っ取られないことも選択できるのだと思いました。

 

私の場合は自分の中で怒りが発生した時に、自分でも止められないほどの残虐さを感じた経験が何度かあります。

 

でも、その感情をいけないものだと排除するのではなく、あるけれどそれを選択しないということも選べるんだなぁーということを漠然と感じておりました。

 

「闇は美しい」
の捉え方は人によって異なるけれど、
私にとっての闇はやはり人の魅力。

 

表裏一体で光と闇を持つ地球人という存在は
やはり興味深いです。


今このテーマの映画が世界中で放映されるということは、宇宙からのメッセージなんだろうなーと感じずにはいれません。

人間は愚かな存在か?

アカシックでちょいちょい出てくる「ロードオブザリング
今更ながら、この連休に三部作を一気に観ました。

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舞台は地球。
人間とか魔法使いとか賢者とかがいっぱい出てくる物語ですが、人間という存在は愚かな存在と表現されることが多いように感じます。

ハリーポッターでも、人間はマグルと呼ばれ人間嫌いの魔法使いもいたしね。

 

「人間は愚かな存在だ」
という表現を聞く度に、”ふーん”と思ってたけど、ふと”なんでそんな表現になるのかな”と考えてみた。

 

例えば、人間の醜い部分として欲深さとか、支配欲とかが挙げられていたのだけど、それはいわゆる人間の闇の部分なわけで。
そういう部分って全員持ってるから、そこに善も悪もない。それが人間。

 

けど、その闇と光を両方合せ持ちつつも、それを乗り超える力があることが人間のすごいとこなんだろなーと思った。

 

人間ってすごい制限のある中、いろんなことに葛藤したりいろんなことを達成したりする。
それって本当にすごいことよね。

 

やっぱ人間っておもしろいわー♡と人間に生まれてきた喜びを噛み締めた。


(ちなみに、エルフのレゴラスを見た時に
”私この人知ってる!前世?!(´♡ω♡`)”
ってトキメイてたらただのオーランド・ブルームやった件。そら見たことあるわw)

 

 

 

過去の不幸は理由にならない

昨日、人の悪口を上司に言っていた時
(↑おい♡)

 

上司が
「(その子は)子供の時から両親がいなくて天涯孤独だったらしいから(その子がそうなるのも仕方ない)」

と言っていた。

 

それを聞いた時は「そうやったんや」と思ったけど、よくよく考えたらそれって理由にならなくない?

 

人生に起こったいわゆる可哀想な出来事を
掻き集めようと思えば、誰だってある。
私にも鬱とかアル中とか自殺とか挙げればいくらでも数えられる。

 

「私にはこんなに可哀想な出来事があったから、今の私はこうなんです!」

なんて盾にして、自分のことナメんなって思う。


過去の出来事を自分がかわいそうな言い訳にするな。
そんな出来事も含めて自分なんでしょ。
それをまるっと含めて自分の人生いきろよ。

 

なんてことをフツフツと考えていた秋分の日。

愛はどこにある?

最近のマイブーム”愛”について考えること。

(↑どんなマイブーム∑(゚Д゚))

 

人は
愛を欲しがっていて
自分ではない他者から与えられるもの、とか
スペシャルなもの、と
捉えているのかな
と思った。

 

お金では買えないし
目に見えないし
どうやったら得られるのかもわからないし
誰も教えてくれないし
教わったところで理解できないし
でもすごくすごく欲しがっていて
どこにあるんだろうと探しているというか。

 

愛は不思議で
言葉がなくとも
国境も超えるし
宇宙も超えるものでもあって
結局何?って聞かれても
的確に表現できる言葉が見つからない。

 

けど、愛はスペシャルなものではなく
自分の中にあるんだよな、と私は思っている。
そして自分の中から湧き上がってくるもの、というか…

 

あることを認識しないと
あることにならなくて。
愛はすでにそこにあるのだから
後は受け取るだけなんだけどなーって
思った。

 

宇宙からは愛しかない

アカシックカフェin京都
7月は23日です♡
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孤独は悪か

13歳になる姪っ子が私に


「めぐは一人で生きてるけど、孤独じゃないよね」


と言った。


いつからそんな大人びた発言をするようになったんだ∑(゚Д゚)

 

 

そんな姪っ子の口から出てきた”孤独”という言葉に思いを馳せていたのだけれど、三年前くらいにとある有名な方のトークイベントに行った時に聞いた言葉を思い出した。

 

「自分の中の孤独とどう向き合うか、それが大事だ」

 

という言葉で。
その言葉を当時聞いた時は、

”次のステップに自分を進めるために必要な試練”

くらいにストイックに考えていたけれど、最近考え行き着いたのは孤独はいつも自分の中にあるということ。

 

孤独と聞くと
心が強くないと無理とか
他となじまないとか
そんなイメージを持っていたけれど

 

人は産まれてくる時も
この世界を去る時も一人であって
孤独は自分の外にある世界じゃない。

 

姪っ子に「めぐは孤独じゃない」と言わしめた理由は、自分の中にある孤独を自分の一部として受け入れられてるからなのかな、と思った。

 

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私は人にあまり興味がない

今月から対面のアカシックリーディングを始めています。

 

初めての取組みだったのでドキドキしていて
それが初回は相手にも伝わっていたようでお恥ずかしいのですが(笑)
おかげさまで楽しくさせていただいております(*´∀`)

 

タイトルの”人に興味がない”件ですが、
私は正直人が悩んでることとか、人が言っている言葉とかにあまり興味がありません。
特に大衆が話している、人の噂話とかはマックス興味ない。
真実は一つ、当の本人が知ることのみだからです(コナン的な感じ)

 

ただ、私は人が持つ本質にはめちゃめちゃ興味があります。
仕組みとか。

 

一番大事にしたいのは、その人が持つ今世、現実のこの世界をどう生きるかということ。
だからこそ、本質の素晴らしさを知ってほしいと思うのです。

 

あとね、私はいわゆる目に見えない世界に敬意を持っています。

 

魂の記憶であったり
宇宙(天)からの愛であったり
それは私にとっての真実なのです。

 

なんか、それは知ってほしい。


人間ってすごいんだよ。
今地球にいることってすごいんだよ。
自分で自分を疑わないでほしい、本当に。

 


アカシックリーディングモニター募集中★
まだまだ募集しておりますが、6月末まではおかげさまで満員となっております。
7月分また追って募集いたしますので、よろしくお願いします。

 

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555円のお茶碗を買うことを躊躇った件

今日ニトリでかわいいお茶碗を見つけました😍

 

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※お花柄のお茶碗♡富士山の箸置きはダイソー

 

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※裏向けたらニコちゃんがいる♡クジラの箸置きもアルヨfromダイソー

 

ずっと使っていたお茶碗は100均のもので、一人暮らしの私は基本お皿は100均でしか買ったことがなかった。

 

けど、どうせ使うなら気に入ったものを使いたい!と最近お皿探しをしていて、今日ニトリで出会ってしまった…

 

けど、555円もする…

 

「高いなぁ…お茶碗に555円て!他のはもう少し安いのに…てゆうか、お茶碗にそんなにお金かけんくてもよくない?」

 

と、止まらない心の声。

いったん手に取らずしばし店内をうろつく。

 

またお茶碗の前に立ち手に取るも

 

「他の店でもっと気に入るのあるかも!」

 

と、いったん戻す。笑

 

 

そして数歩離れた時に気付いた。

 

 

「いや、待てよ…

気に入る物探すとか言って、値段に躊躇してるやん!また妥協して何の感情も湧かない100均のお茶碗を使うのか?」

 

そして目の前のお茶碗を手に取りレジへ。

長かった…笑

 

 

私は服、鞄、靴とかどこかに行くことに対してはバンバンお金を使います。それは、その価値があることがわかりやすいから。

けど今回

 

「これはこんなもん」

 

と、自分で何かと決めてるんやなーということに気づきました。

 

私の場合、お皿は100均が基準。

100均でも気に入ってたらそれでいいのだけど、

私が今使ってるお茶碗は買う時にそんな風には選ばなかった。

100均にある中で一番マシなやつ、という選び方をしてた。

 

どうせ自分が使うものだし…

と、妥協してたなぁーと反省。

 

555円のお茶碗買うのすっっごい躊躇ったけど

帰り道すごい慎重に持って帰ったもん。

持って帰って洗う瞬間もうれしくて仕方なかったもん。

 

もう微塵も

 

「どうせ自分が使う物やし」

 

で片付けるまい。

自分のために箸置きも使ったことなかったから帰り道のダイソーでかわいいの見つけたので連れて帰りました。

 

そしたら、いつかの結婚式でもらった引出物のティーカップセットがあることを思い出し

 

「いつかのために取っておこう」

 

と置いてたことを思い出した。

 

「そのいつかはいつだよ!?

てか、自分のために使え!」

 

と思ったので、いそいそ洗いました♡

 

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もう微塵も妥協しないもん。