チチェンイッツァとイキルセノーテ
当初の予定ではカンクンに寄るつもりはなかったのですが、どうしてもチチェンイッツァに行きたくて今回カンクンを行程に追加しました。
↑カリブ海サイコー
↑カリブ海の朝日
チチェンイッツァはマヤ文明の遺跡です。マヤ文明はスペイン人の侵略によって衰退した、とも言われていますが、街中にもスペイン文化の影響を受けた建物がたくさんあります。
マヤ文明はユカタン半島(メキシコの東側)で繁栄した文明ですが、この地域の人はユカテコと呼ばれ、外見がメキシコの西側よりも少し背が低くがっしりしていて色黒であり、メキシコでは今でも職業差別があるそうです。(ユカテコだから、という理由で職業選択の自由が狭まるらしい)
あんなに素晴らしいマヤ文明を築いた人たちの末裔なのにね😞
チチェンイッツァでは、ユカテコの仕事を外国人が取らないように、ユカテコの人たちを公認ガイドにしているそう。ぜひそうしてください!!
そして!これがチチェンイッツァ!!
マヤ文明の完成度の高さに感激しかない。
このチチェンイッツァの下に、小さなチチェンイッツァがあることがわかっているらしい!エキサイティング😍
また、チチェンイッツァの下にセノーテがあるという説もあり、隕石によってセノーテができたからマヤ文明は宇宙人が作った説があるんだって。私はその説に一票。
↑野生のイグアナもたくさんいる。ユカテコの人はこのイグアナを食べるらしい
チチェンイッツァというと生贄の儀式を思い出す方も多いと思いますが、元々のマヤ文明では生贄文化はなかったそう。後にメキシコの西側で栄えていたトルテカ文明の影響を受けて生贄儀式が執り行われるようになったそうです。
豊作と繁栄の生贄と、雨を降らせるための生贄。豊作の方は高貴な立場の人がなることが多く、生贄になることは名誉なことだったそうで、生贄になるための競技で勝者が生贄になったらしい。一方の雨のための生贄は10歳くらいの男の子が生贄に選ばれていた、と最近の研究でわかったそうです。
↑豊作と繁栄の生贄を決めるために競技をした競技場。勝者は生きたままの心臓を捧げる
↑雨を降らせるための生贄はこのセノーテにおもりを着けて飛び込んだ
メキシコにはセノーテがたくさんあり、地元の人や観光客が水浴びするところという認識ですが、チチェンイッツァのセノーテだけは神聖な場所なので雰囲気が全然違います。
生贄の人たちの頭蓋骨を並べる場所があったけど、やっぱり少し異様な雰囲気だったのでよう写真撮らんかった(^^;
チチェンイッツァの後はイキルセノーテで水浴び。
飛び込みは思ったより空中の時間が長くて焦りました😨もうやらない…w
歴史から現在のメキシコにある差別の話は、やはり複雑だけれど、過去はやはり過去なんだな、ただそれだけなんだな、ということをチチェンイッツァ遺跡を見て改めて感じました。
マヤ文明を壊したのはスペイン人で、文献の多くが燃やされてしまったそうですが、それを聞いて残念だけど、その後に今まで過ごしてきた時間があるからね。
なんとなくそんなことを冷静に感じたのでした。